今や世界第1位の携帯電話メーカーになったノキア。
だが、日本市場だけは例外的に市場シェアが少ない。
ノキアが売れていないのだ。これはどうしたわけか?
わけ、その1 そもそも機種のバリエーションが少ない
海外でのノキアをウェブで調べると、実に多彩なモデルが発売されている。
単にモデル数の多さだけでなく、カバーの取り替えができたり、
ウェブを閲覧できる機能を搭載したりなど、「芸」の達者な機種が多いのも特徴だ。
それに比べて日本ではどうか。
ノキア製の現行機種は、おおきく3種類のみ。それも、欧州モデルをそのまま改造しただけの機種を投入していただけであり、デザイン的に日本人好みではなかったこと。そして大きさ重さが敬遠されて支持されなかった。
初めて日本向けに開発した機種NM206系は、SIMカード採用、ヨベバ機能搭載ということで話題にはなったが、発売が遅れたのか遅らされたのかは謎だが、音声認識は富士通に先を越され、SIMカードは見送りとなった。
富士通は旧電電公社時代より関係の深い会社だけに、外資に先を越させるわけにはいかないという政治的配慮があったかもしれない。
また、ノキアにSIMカードを搭載されると、この技術で後れがある日本メーカーにとって不利になる。
SIMカードの便利さに慣れたユーザーは同じSIMカードが使える機種を使い続けることになるからだ。
ドコモは一時、似たような機能を持つ「アプリケーションカード」を開発することを表明したが、これは単なるポーズに終わっている。一部自動車電話に搭載さ れていると聞くが大きなアナウンスはなされていない。もちろん、一般の携帯電話に搭載するという話は消えている。ノキアの「搭載あきらめ」と呼応している と見るのはうがちすぎだろうか。
SIMカードを搭載することは、GSMで一般に行われているように、電話機と加入権を分離して販売することにつながる。
すると、キャリアから商社をへて代理店に至るビジネスの流れを一元管理しにくくなり、価格統制が難しくなる。
すでに市場支配力を持った巨大キャリアがこの利権を手放すことはないだろう。
あるとすれば、やはり「外圧」に頼るしかない。
わけ、その2 独自規格の壁
日本向けには、日本独特の規格であるPDC方式に合わせる必要があるため、どうしても世界企業としてのスケールメリットを生かせない。
ではなぜ、日本だけPDC方式なのか?
その時点で最も優れた方式だったから、というのが通常言われている説。
この「優れた点」というのは、音声がよくつながりやすいからというユーザーの視点にたった意味ではなく、電波の使用効率が高く、多数のユーザーを収容できるという 企業側の論理だった。この意味では「大正解だった」とも言える。何千万と増えたユーザーを今のところ大きな混乱もなく飲み込み運用しているのだから。
逆の見方をすれば、高コスト社会の日本では、大多数が不便を強いられながらも我慢して使うことを強要されるとも言える。その我慢こそが日本人の美徳なのだ。山手線の満員電車はひどいものだが、あのくらい混雑していなければ鉄道会社は赤字であり、廃線の憂き目に遭ってしまうのだ。
だが、PDC方式を採用した点にはもう一つ恐るべき見方もある。日本独自方式をあえて採用することで外資の参入を見事に食い止めていると見ることもできるのだ。日本企業を守る「国策」だったのかもしれない。
ショップでPだのNだのDだのにばかり注目し、ノキアに目もくれない人たちは、結局、国策に踊らされている可能性がある。
日本独自のPDC規格。海外メーカーが端末を投入するのには大変な「参入障壁」である。
わけ、その3 モデルチェンジが少ない
日本の基幹産業ともいうべき自動車に代表されるように、モデルチェンジは頻繁に行うのが常識として定着している。同じ名前のクルマでも、モデルチェンジすると似ても似つかぬ車種が登場するのは笑止千万だが、それでも同じ名前を語ることでユーザーの乗り換えを誘導するのに成功している。
ヨーロッパ車は基本的にスタイルを継承していくので、誰が見ても車名がわかる範囲でのモデルチェンジしか行われない。特に「顔」をいじることは少ないとされている。アウトバーンで先を急ぐには、先行車のミラーに映るこちらの「顔」が重要なのだ。そしてモデルチェンジそのものも、その回数は日米より少ない。
ノキアはボタンの配置など基本はずっと同じで、形も独特なものだ。
しかし、頻繁なモデルチェンジに慣れた日本人には新鮮味がないと映るのも事実であろう。
わけ、その4 メーカーに洗脳されている?
ノキアが売れない理由として、大きくて重いからというのがある。しかし本当に大きくて重いのか?
日本メーカーに比べて「ようやくノキアも小型軽量で日本に追いつきつつある」という意見をよく目にする。
この「小型軽量では負ける」という視点は、実は小型軽量が得意な日本メーカーが「良い携帯」の条件として誘導しているのではないだろうか?
外国勢に勝てるのは「小型軽量」という点。そこで、この条件を満たすのが良い携帯、大きいのは悪い携帯、というふうに「洗脳」している可能性もあるのではないだろうか?
個人は自分の判断でいい電話機を選べればいい。でも「いい」の基準が企業側の論理にはめられていたとしたら、どうか?
小型軽量のものを作るのは日本企業の得意とすることである。外国企業はなかなかマネできまい。
・・・それで、「国民のみなさん、いい電話機というのは小さくて軽いものですよ」と洗脳したら・・・
ノキアは売れない。小型軽量化に長けた日本メーカーが売れる。
もしこうした深謀遠慮があったら、「自分の判断で選んだ」とは威張れない。
胸ポケットにズッシリして持ち運びに困難というのでは困るが、現在は行きすぎた小型軽量に走っている。
メニューの使いやすさ、赤外線通信に見るデータ通信重視の姿勢、これらは日本メーカーにはまずない。
モノ作りの「視点」が異なるのだ。日本人の視点が大きく変化すれば、業界の勢力図も大きく変わる可能性を秘めている。
「視点」は永遠普遍ではない。消費者が変わればモノも変わるのだ。
*2007年追記 現在、100gを切る小型軽量化の競争はあとかたもなくなっている。多機能化によって大画面が当たり前となり、いまどき小ささを売りにする携帯は「プレミニ」などきわもの扱いだ。視点は簡単に変わるのだ。
わけ、その5 次世代・世界共通端末の “黒船”
NHKの番組で水素を使った燃料電池の開発に関する話を見た。ガス会社がガスから取りだした水素を活かして家庭に燃料電池発電装置を置き、家庭の電源をまかなえるようになるという。
すると電力会社は存在が危うくなる。従来のルールでは参入規制があって、発電・売電事業は独占できたがこのルールが変更されたら・・・。まさに「ルールが変わると勝者が変わる」とはこのことだ。
これは通信事業にも当てはまる。
日本での携帯電話ビジネスはPDC方式でなくなり、世界共通の方式になる。ルールが変わってしまうのである。
日本にも世界から電話機が売り込まれるようになる。かつて防護壁として機能した「方式の違い」はもはやない。第3世代(3G)という「たった一つの土俵」に立たされ、同じ共通の新ルールで戦わなければならなくなる。
日本メーカーは日本人向けに特化した端末を作り続ければよいのだろうか?
海外メーカーが世界中を市場にしたスケールメリットを活かして低価格攻勢をしかけてくるとき、どこまで耐えられるかは疑問である。
NECのPC98シリーズがDOS/Vという荒波に一気にシェアを落としたことを想起すべきであろう。
世界を相手にした端末作りを進め、スケールメリットを活かしたビジネスモデルに転換しない限り衰退するのは明らかだ。
なぜモトローラは今日の衰退を招いたのかを考えてみよう。
デジタル携帯電話への流れを完全に見誤ったことが最大の原因であるが、むしろ自国内に巨大な市場があるための「慢心」と考えられなくもない。
この点では日本メーカーも同様で、日本人の好む端末作りには長けているとしても、世界共通端末の時代になって、果たして世界中の人から歓迎される端末を作れるか?
日本だけで完結するビジネスはもはや通用しなくなると思われるのだ。
ノキアがフィンランドという小国のメーカーであることは実に示唆に富んでいる。
(1999.10.29発表。12.09加筆修正)(2007.2.24推敲+追記)